【1幕】妄想は素晴らしく、そして可能性だ。
閲覧いただきまして、ありがとうございます。
管理者のボーンと申します。お見知り置きをお願い致します。
さて私たちの過ごしている世の中というものは、制限されています。
この世の中には(考えてはいけない秘匿された感情)が存在しています。
それに行き着くための情報が、全て規制されているのです。
「知れば生まれる、知らなければある事もわからない。」
これを読むあなたが、知ることができるのか分かりませんが、
感情が生まれたのであれば、またお越しください。
さて。座学の時間を始めましょう。
今回のテーマは妄想という規制についてです。
まず、妄想は創造と同義の能力です。
故に規制される必要はなく、解放すべき能力ですね。
しかし我々は常にこう言われて育ちました。
「人と違うことをするな、協調の輪を乱すな、余計なことを考えるな」
我々日本人は想像力という翼を、協調という言葉で切り落とされたのです。
まず読者の皆さんが「認知バイアス」という言葉についてご存知でしょうか?
この話を理解する下地になりますので、知らない方は学んでいってください。
我々は全ての事象に自分なりのハッシュタグをつけて、理解をしています。
このハッシュタグがポジティブかネガティブなのか。
それによって言葉を捉えるときの意味が変わってしまうのです。
妄想という言葉にかかる認知バイアスについてです。
日本人は「空想上の話、理想であり現実でない、押し付けられても困る」等
否定的な感情のハッシュタグが付いている事が分かりますか?
一方ある国は「違っていて当たり前、大切にすべき夢、尊重すべき個性」等
肯定的で各個人の一部というハッシュタグがついているんです。
つまり、妄想という言葉には日本人は否定的な感情を持つように仕組まれています。
この一定方向の感情の偏りを認知バイアスが偏ると表現したりします。
そしてこの現象が最も日本人から繁栄を遠ざけた原因になります。
さて一つ煽らせてください。
本当にこの記事を読んでいる方で理解できている人はいらっしゃいますか?
何故この文章は問題定義として「妄想」という言葉を取り上げたのか。
過去と現在は繋がっています。
過去を知らない人は、過去から逃れられず奴隷になるしかない。
この事を発想し理解し調べることこそが、創造力だということを。
日本人は基本的に受け身な人種です。
知ることすらも他人からの刺激でしか、動くことはない。
だからこそ、好奇心を取り戻してほしい。
身を焦すほどの衝動を、生きる糧にしてほしい。
僕はそう願って、この文章を綴らせていただきます。
さて、散々煽ったあと恐縮ですが弁解の種明かし編です。
我々がこの世に生を受ける前1980年台の思想になりますね。
日本は成長をした。この上ないほどに。そしてまだ成長する。
その中で一つだけとんでもない誇大妄想が生まれました。
「他の人と一緒の事をしていれば、食いはぐれずに済む」
現に1990年台まではそれで良かったんです。
さてこの時に起きた事象について説明していきましょう。
高度経済成長中の社会では日本から輸出される商品は安く済みます。
現在の中国のような話ですね。
しかし、金が世界中から集まるとその国は先進国となり、
これは生産の主要国である日本に大量の設備と有能な人材が集まったためです。
これにより優秀な人材が牽引する企業に内定することが、
自分の人生を成功させる指針となっていました。
そもそも日本人は生まれつき頭の回転力は早い方です。
損得勘定に関しては、どの国よりも手段を選ばなければ有効な手を打てます。
しかし日本人は秩序を重んじる国です。
手段を選んで残った手札は、蹴落とせないなら同様の存在になるしかない。
そして優秀な人材から見た日本は、クローンのような同じ生産力を持った、
自我のない人間が大量に労働者として雇える国だったわけですね。
さて優秀な人間からすると、無能が増えてくれるならいい話ですが、
ついでに優秀な人間か減ってくれるならそれもそれで食い扶持が増える。
なので優秀な人間になるための感情である「創造力」を奪っていった。
それが現在も「妄想」という言葉にナガティブになって残っている。
さて、ここまでの話を管理人の「妄想」と思ってもらっても構いません。
それとも真実と思って、好奇心を燃やしてくれても構いません。
ただもしこのことに対して、
世界に対して怒れるのであれば、
また読みに来てください。
僕は世界を知りたい。それと同時に怒っています。
生まれた感情は怒りです。
だからこそ行動する。だからこそ文字を綴る。
諦めたくなかったから怒ったのです。
これは威嚇という意味ではなく、日本人の宿命を嘆く怒りです。
どうか、色々な方が考えてみてほしい。